裏目憾めど残し遺す

全部、ぜーんぶ必要経費だったんだよ。
今だから、そう言えるんだ。

2016年12月

随時追加

○かなり好き

蜘蛛ですが、何か?
転生したらスライムだった件
ありふれた職業で世界最強
人狼への転生、魔王の副官
最果てのパラディン
幻想再帰のアリュージョニスト

○大分好き

Re:ゼロから始める異世界生活
無職転生
謙虚、堅実をモットーに生きております!
オーバーロード
俺を主人公なんて呼ぶんじゃねえ!
シャチになりましたオルカナティブ
じっと見つめる君は駄天使
転生王女は今日もフラグを叩き折る
公爵令嬢の嗜み
死神を食べた少女
メランコリーフェミニン
モンスターのご主人様

○まあまあ

四億円当てた勇者ロトと俺は友達になってる
二度目の勇者は復讐の道を嗤い歩む
うちの娘の為ならば、俺はもしかしたら魔王も倒せるかもしれない 。
クラスまるごと人外転生 ―最弱のスケルトンになった俺―
蘇りの魔王
私、能力は平均値でって言ったよね!
理想のヒモ生活
転生吸血鬼さんはお昼寝がしたい
異世界落語
用務員さんは勇者じゃありませんので
ハルジオン~口だけ野郎一代記~
甘く優しい世界で生きるには
詰みかけ転生領主の改革(旧:詰みかけ転生領主の奮闘記)
没落予定なので、鍛治職人を目指す

○うーんまあ

デスマーチから始まる異世界狂想曲
魔人勇者(自称)サトゥン
夜伽の国の月光姫
家賃1万円風呂共用幽霊付き駅まで縮地2回
異世界迷宮で奴隷ハーレムを


多分覚えてないのもある
これ殆ど全部この一年で読んでるって考えると結構読んだね・・・

ソーシャルゲームの類にちょっと批判的な話をすると思いますが、だからやってる人がどうとかそういう話をする気は一切ないのでご了承をお願いします。

○ソーシャルゲームがどうにも苦手な話

さて。
私は、グラブルもFGOもとても魅力的なコンテンツだと思っています。
キャラクターが兎に角強い。エピソードや世界観も良い。

でも結局やってない。FGOは何度も再開しようと思っていますが続きません。
今パッと思いつく範囲で、その理由は2つあると思っています。

・ガチャ
 
まあ、はい。
これは完全に金銭感覚の問題ですけど、「例え欲しくても手に入れるのに幾らかかるのか分からない」ものに大金をつぎ込むのはやはり理解出来なくて、かといって「欲しいものがあるけど幾らかかるのか分からないから我慢する」ってのもそれはそれで相当意味が分からないと思うんですよ。
後者は金銭感覚と同時に私の完璧主義的なところの影響が大きいですけれども。
ゲームで遊びたいのにいちいち定期的に我慢を強いられるのも、凄く馬鹿らしい。

ガチャを回したいという気持ち自体はものすごくよく分かるし、面白かったからお布施の意味を込めて有料ガチャを回したゲームもあります。けど、欲しいものが手に入らなければガッカリするし、「ゲームを遊ぶのにそういう体験を進んでしたいとは思わない」のです。 
そしてこれはFGOとかになると大きなデメリットで、折角魅力的なキャラクターが居てその子のエピソードを見たかったとしても、それをするのに幾らかかるのか分からないわけです。
そして、少なくとも私はそれに万単位の金は絶対に釣り合わないと思っています。

これは、「ゲームに大金をつぎ込むこと」の是非についての言及ではありません。
あらゆる娯楽がそうであるように、その万単位の金をつぎ込んで遊んだ結果、偶然得られた繋がりや出会いがもっと大きな価値を持つことは往々にしてあります。
それを否定する気は毛頭ありません。

私が感じているのは、「このキャラ育ててみたい」「このキャラのエピソードを見たい」という想いを叶えるのに、幾らかかるか分からない大金は見合わないという話です。

だから、ガチャに大金をつぎ込む人がそれなりに居て、それがごく自然に受け入れられている空気というのも正直なところ結構なんだかなぁと思うところはあって。
狭い界隈を見てるから目につくってのは勿論あるんですけどね。でも、私自身だって金遣いの荒いオタクだと思っているからこそ、この感覚をあまり共有できないというのはモヤモヤすることが多いのも本音ではあります。難しい話題ですけど。

と、「ガチャだからソシャゲはやだ」というような話をここまで並べていますけど、これは理由のうちのせいぜい2割程度だったりします。
大体理由がこれだけなら普通にガチャ我慢して遊ぶよ。多分。

・ キャラやシナリオが良くてもゲームが面白くない

残り8割はこっちです。
いや本当に単純な理由で 、幾ら好きなキャラが居ても私はやっていてつまんないゲームを何十時間や何百時間もやりたくないんですよ。
私はゲームが好きですから、それに時間をかけるくらいなら他のゲームをやります。
ガチャの話と対比して言うなら、 「このキャラ育ててみたい」「このキャラのエピソードを見たい」という想いを叶えるのに、際限なくかかる時間は見合わないと私は感じているという話。
まあ、もう一度軌道に載っていれば追加キャラのエピソード見るのに大した労力は要らないとかあるでしょうけどね。初期投資にどれだけの時間必要なんですか。

FGOにしてもグラブルにしても、色々工夫がされてるのは分かりますけどあのゲーム部分を私は「作業」にしか感じられないので、何十、何百という時間をかけるのはやはり辛い。

以上、要約すると
「魅力は感じるけど、金と時間をそこまでつぎ込む気にはならん」
の一行で済む話でした。

○面白いゲームって難しいなと思った話

と、大分否定的な物言いをしたんですけど、ここで少し疑問に思ったんですよ。
「グラブルやFGOのメインシステムは言うほどつまらないか?」と。
いや特別面白いって言う人も居ないと思いますけど。

そもそも、「作業ゲー」って割と面白いんですよ。
より効率的なルーティンを作るのとか、作業した成果として敵への与ダメージが上がるとか。
そもそもこういう部分の面白さを否定したら殆どのRPG系統のゲームはつまらなくなってしまうし、私があれだけ遊んだ東方の迷宮とか地獄そのものってことになります。
まあグラブルのマラソンはそういう面を考慮しても限度があるような気がするけどそれは置いといて、じゃあなんで私はグラブルやFGOのメインシステムをつまらないと感じるんだろうと。 
TLの流れで、「面白いゲームってなんだろうな」と考えていたらその理由がなんとなく分かったような気がします。
 
ズバリ、求めているものが違う、です。

答えのパーツ自体は既に出てたんですよね。
私がグラブルやFGOに対して魅力的に感じていたのは、キャラクターとかシナリオなんですよ。 そして、出来るならその話を知りたい、読みたいと思った。
作業ゲーはそれはそれで楽しいけど、別のゲームでやれば良いことなんです。
「話を読みたい」という動機があるのに「作業ゲーをする」というのはちょっと違う。
結局、動機が食い違ってるからゲームをつまらなく感じたんじゃないかなと。

多分、これを「すげぇどうでもいいくだらねぇ理由だなぁ」と感じる方は結構居るとは思うんですけど、これは十分つまらなく感じる理由に足ると私は思います。

ゲームで「なんか思ってたのと違うからやめた」ってあるじゃないですか。
他にも、誰かが「このゲームはこういう理由でつまらない」と言っているのに対して、「いや、このゲームはここを楽しむものだろ?」と思ったりとか。 後は、「手探り過ぎてよく分からんからやめた」とか、「シナリオの良いエロゲでエロシーンを飛ばす」とかもそう。
こういうのって、上述した「動機の食い違い」じゃないかなぁと思うんですよね。
ああ、ソシャゲの話はもう全然関係ないんですけれども。

だから、面白い作品を作ったとして、それの魅力を意図通りに伝えたいのだとしたら、「この作品はこういう魅力があるからそれを味わって欲しい」という誘導をやんわりした上で、その魅力のノイズとなる要素は極力排除する必要があるんだなぁ、なんてことを改めて思ったのです。

遊ぶ側に対してそこまで親切にする必要があるとは言わないし、「分かる人にだけ分かればいい」というスタンスを否定する気は勿論ないんですけど。
ただ、ゲーマーとして年を取ったなぁと思う中で、そういうところが行き届いたゲームって凄い嬉しいしその配慮自体が魅力の一部足り得ると思うんです。それもユーザビリティの一つだなぁと。

ゲームを作る立場の人からすれば常識みたいな話なのかもしれないけれど、基本遊ぶ側にしか立たない中でそういうことをふと思ったので文字にしようと思ったって話でした。

おしまい。鈴奈庵を買え。


 アガサクリスQ最高かよ・・・ほんと愛してる

今年は「これだ!」ってキャラクターに多く出会えました。
もっと私のハードルは高い印象だったんですけど、案外いい加減なもんですね。
今年が豊作だったってのは事実だと思いますけど、股間が寛容になっただけかもしれません。

既にTLで散々騒いでいましたが、改めて例の二人については語らせてくださいという記事。
今回はベレッタの話。

○ベレッタ ―――「結晶石と錬金銃」より
キャプチャ11

画像右側の女性は本作の主人公、ハッピートリガーのリア。
そして、画像左側の男性がベレッタです。男性です。
彼の来歴を丁寧に説明しようとすると長くなるのでザックリ表現すると、「きな臭いし危うい総領家から諸事情で亡命してきた病弱王子(王位継承権は亡命時で2位)」です。

さて、私は思春期に影響された作品のお陰で所謂「男の娘」にはめんどくさい拘りがあり、要約すると「性別が男って書いてあるだけの女キャラクターは許さねぇ」ということなのですが、ベレッタはその辺りをちゃんとクリアしています。

というか、所謂「男の娘」は出演作品の都合もあるんでしょうけど普通にホモであることが多いので、そこでまず「なんだこいつ」ってなってしまうんですけど。
じゃあまず男の娘が好きなお前はなんなんだよって話になりそうですが、別にホモではないので?

まあ兎に角、ベレッタは容姿が女性寄りなれど感性はヘテロの男性なのです。
主人公であるリアにも割とストレートに好意をぶつけています。いまいち噛み合わないけど。

何故こんな格好をしているのかということですが、元々女装趣味があったわけではありません。
「亡命中に転がり込んだ屋敷で衣装を見繕っていたらサイズの合う執事服がなく、リアに取り敢えずメイド服を着せられたら割としっくり来てしまったから」というのがこの格好の経緯。
 キャプチャ
女装に興味があるのは一般性癖。

女装の経緯としては100点満点中の120万点くらいあげたいシナリオです。
元々華奢で質の良いロングヘア、育ちもよく、女性らしいとまではいかずともさほど違和感のない所作で振る舞うことができ、元々の知見と頭脳を活かした事務処理能力は屋敷の主人を大いに助けることに。
脳筋かつ大雑把で力強い主人公・リアとは能力面で対照的であり、お互いに他人の芝生は青いと感じている描写が随所にあります。

魔法の言葉「中性的」というワードがよく似合う言動。
主人公に憧れる姿。「一度心折れた者」特有の俯瞰視点。
シナリオ中、随所で見える芯の強さと献身性。そしてジト目。

そのどれもが魅力的です。
友達になりたい以上の親愛を感じます。

まあ冷静に見ると、私の抱える精神性を純化して美化しまくると彼の精神性に結構近くなるので、これは共感的な憧憬が強いのかなぁとか身も蓋もない分析をしたりしていますが。
 キャプチャ3
自身の無力さを強く意識している一方で、出来ることに関してはなんだかんだ自信家なところも可愛い。

彼はその立ち位置と体質故に、なかなか如何ともしがたいルートを辿るのですが。
その詳細はぜひ本編をプレイしてみてください。寄り道しなければ10時間もかからないはず。

愛せます。私は愛した。
ちなみに、ついこうやってキャプチャを引っ張り出すと表情が私の趣味によってしまっていますが、ごく普通の笑顔も素敵な子です。感情表現は全体的に素直な子なのです。

この作品は他の子もなかなか癖があって、主人公であるリアなんかもなかなか人間らしい素敵なキャラクターです。川崎部さんのところは本当になんかこう、キャラクターが強い。
表現が難しいんだけど、泥臭い魅力があるんですよね。輝かしいというよりは、「ああ、この子はこの世界でこう生きてるんだなぁ」と思わせられることが多い。

まあ多分、彼の人間性を考えた時ベレッタを好きになるのに性別は関係なかったんだろうなぁとは思ったり思わなかったりするけど、でもそれにしてもやっぱり女装っ子は良いなぁって・・・
当たりハズレが激しいジャンルだからこそ当たりの喜びは大きいみたいな話。

対抗馬はいるけれど、今年出会った中ではやっぱり一番好きなキャラクターだったんじゃないかなぁ。プレイ後三日間くらいはベレッタのことしか考えてなかった。 

オチはない。
来週までに気が向いたらあいつのことも書く。

早いものでもう12月。
2016年は本当に心の底からあっという間でした。

なんといっても、初めて「フルタイムで働き続ける1年」というのを体験したものですから。
割と夏休みはのんびり取ったけど、それにしたって学生の頃とは比べ物にならないくらい自由時間の少ない、活動的な1年だったはずです。

何よりまず、大学時代はまともに授業とか受けてない。
大学に行かない。行っても部活か麻雀。朝眠ければサボる。
これじゃいかんだろうなぁと思いつつもそんな時間を過ごし、副産物として銀符コミュニティでの立ち位置を得たりもした大学5年半でしたが。

そもそも、就職当時は「本当に社会人として生きていけるのか」というところからしてかなり不安だったわけで、どうにかこうにか一年間働いたことを考えるとなかなか感慨深いものがあります。
人からすればそれくらい出来て当然なのかもしれませんが、「忍耐」と「継続力」の部分に絶望的に自信を失っていた私からするとこれは結構大きい話なのです。地子様褒めて褒めてー。

元々、身体があまり強いほうではないこと、そして「不調を押し通して活動する」という経験が世間一般の人と比べ著しく少ない人生を送ってきたもので、身体的不調が精神的不調にリンクしやすく悪循環も多発する人間です。
現に今年度の有給は体調不良と長期休み繋ぎで既に使い切ってしまっただとか、メンタル折れて一日休んだりとかやりましたけど。

まあそれでも、続いたのです。
一面としては、惰性と敗残の結果を受け入れる一年だったと言えるかもしれません。
ですが、これは確かに「苦心しながらも歩き続けた一年」でした。
一度足を止めても戻ってきた。メンタル管理もマシになった。何もかもは投げ出さなかった。
随分、人間として安定したと思います。

はっきり言って、昨年までの6年間は現実に根を下ろさずに生きながらえていた自覚があります。それが今年ようやっと、地に足がついた。たぶん。

そして、時間を仕事に拘束されていた割には活動していた気がします。
旅行イベントは3回かそこらあったけど全部行ったし。
ゲームはなんだかんだやったし。
映画も見た。ノベルは沢山読んだ。アニメもちょっと見た。
逆に自由時間がもっとあったら何やってたんだろうって話になるけど、でもそんなもんですよね。

実家暮らしで貯金がちょっとできただけでも心に余裕ができたし、「最悪どうとでも生きていけるな」という割り切りが実感を伴ってできるようになりました。
みんな言ってることだし、言葉としては認識していたんだけどね。 

ここまで長かったなぁと思います。
やっと現実に目を向け…む、向けます。
もうちょい人生考えます。

でも本当にこの「最悪どうとでも生きていける」という実感は死ぬほど大事だと思っていて、この実績を解除すると、小さいことで罪悪感を引きずらなくなったり、新しいことにチャレンジするハードルが下がる等の補正が得られるんですよね。
完璧主義的な部分を自覚し、改善を意識するようになったのはそれなりに昔の話なんですけど、それ以降も今取り上げた問題には苦戦することが多いので大分生きやすくなったなぁと思えます。

転職先考える話を含め、向こう2年はチャレンジが増えそうだなぁと思います。 
ちょこちょこ色んな人を巻き込んだ活動もまたしていきたいですね。

ああそれにしても、自分で使えるお金が沢山あるって素晴らしい―――!
(DLsiteで同人音声をチェックしながら)

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